1956年10月発売。レンズ設計の名人といわれた脇本善司氏により設計された超高解像度レンズで、樋口一葉著「たけくらべ」の単行本全文70ページをマイクロカード1枚に納め、世の中の人々をあっと言わせた「たけくらべの逸話」を持つ、NIKON史上最高峰の高解像度を誇る距離計連動にも対応のマイクロニッコールレンズ。
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マイクロ写真とは、いわゆる複写・縮写を連想させるものでした。
太平洋戦争直後の日本では、貴重な歴史的資料・書物の保管に、米国の最先端技術であったマイクロファイルシステムの導入を決めたそうです。しかし、当時のシステムに装備された光学系では、F値が暗く解像力も不足していたのです。
では、なぜその様な不完全なシステムが、全米を一世風靡したのでしょうか?そこには言葉(文字)の落とし穴があったのです。
この光学系に要求された精度は、アルファベットの小文字の「e」と「c」判別が可能であることでした。米国の場合、英字新聞の縮写が解像限界であっても何とか使えたわけです。ちなみに、ドイツのメーカーのレンズは、もう少し解像力が高かったようです。
これはドイツ語のウムラウト等を識別するため、米国のシステムより少し高い解像力を必要としたのではないかと、私は推測しています。しかし、このシステムで漢字を解像する事は不可能でした。特に当時の漢字は字画が多いために、判別にはアルファベットの数倍もの解像力が必要だったのです。
文化というものはおもしろいものです。本来、我々東洋人は視力も良く、細かい作業に向いていると言われています。その根底には使用している文字の細かさが関係しているのかもしれません。まさにマイクロニッコールは日本の文化、日本の文字が育んだと言っても過言ではないでしょう。
前記のような日本を取巻く環境と背景があり、官民合同で検討が始まりました。そして、当時東大理学部教授であった小穴教授のご依頼という形で、マイクロニッコールの開発が始まったのです。産みの苦しみは「漢字」という文化をもった日本ゆえの事でした。
設計上の試行錯誤を繰り返し、二度の試作を経て、マイクロニッコール5cm F3.5が完成します。小穴教授は完成したばかりのマイクロニッコールを使い、樋口一葉著「たけくらべ」の単行本全文70ページをマイクロカード1枚に納め、世の中の人々をあっと言わせました。
マイクロニッコールの優秀さをアピールすることになった「たけくらべの逸話」がここに誕生した瞬間でした。
※ニコンHPより引用
マクロレンズ
Leica L39
〇
フルサイズをカバー
4群5枚
高精細
硬めのボケ
-m
7枚
f22
33.5mm
-
207g
日本
-
523082
※注意事項: -
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1956年10月発売。レンズ設計の名人といわれた脇本善司氏により設計された超高解像度レンズで、樋口一葉著「たけくらべ」の単行本全文70ページをマイクロカード1枚に納め、世の中の人々をあっと言わせた「たけくらべの逸話」を持つ、NIKON史上最高峰の高解像度を誇る距離計連動にも対応のマイクロニッコールレンズ。
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